無料のKindleアプリをダウンロードして、スマートフォン、タブレット、またはコンピューターで今すぐKindle本を読むことができます。Kindleデバイスは必要ありません。
ウェブ版Kindleなら、お使いのブラウザですぐにお読みいただけます。
携帯電話のカメラを使用する - 以下のコードをスキャンし、Kindleアプリをダウンロードしてください。
中世倭人伝 (岩波新書 新赤版 274) 新書 – 1993/3/22
村井 章介
(著)
日本,朝鮮,中国に囲まれた環シナ海域――そこは人と物の交流が活発に行なわれ,文明伝播の場として歴史の重要な舞台であった.中世には倭寇が跳梁し朝鮮や明との緊張が高まる一方で,倭人たちによる密貿易も拡大してゆく.国境を縦横に越え,境界の地に跋扈する彼らの活動を,新たに朝鮮の史料を駆使して描き,雄大な中世像を提示する.
- 本の長さ230ページ
- 言語日本語
- 出版社岩波書店
- 発売日1993/3/22
- 寸法10.7 x 1 x 17.3 cm
- ISBN-104004302749
- ISBN-13978-4004302742
この著者の人気タイトル
ページ 1 以下のうち 1 最初から観るページ 1 以下のうち 1
登録情報
- 出版社 : 岩波書店 (1993/3/22)
- 発売日 : 1993/3/22
- 言語 : 日本語
- 新書 : 230ページ
- ISBN-10 : 4004302749
- ISBN-13 : 978-4004302742
- 寸法 : 10.7 x 1 x 17.3 cm
- Amazon 売れ筋ランキング: - 466,074位本 (本の売れ筋ランキングを見る)
- カスタマーレビュー:
著者について
著者をフォローして、新作のアップデートや改善されたおすすめを入手してください。
著者の本をもっと発見したり、よく似た著者を見つけたり、著者のブログを読んだりしましょう
-
トップレビュー
上位レビュー、対象国: 日本
レビューのフィルタリング中に問題が発生しました。後でもう一度試してください。
2017年2月19日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
朝鮮独特の漢文を読み下して、引用することが多いので仕方ないのかもしれませんが、「論啓」、「議政」など訳註が必要とされる単語が散見されます。
2020年5月17日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
私は日頃から「倭」「倭人」とは古代中国が東シナ海の海民を総称していた名称で、中国の山東省・江蘇省、朝鮮半島南部、済州島、日本の壱岐・対馬・五島・勝浦などの海民の全体を指していた。安曇磯良は日本側の海民のドンだった。倭寇の時代は大きく降っていて、古代中国かいった「倭」「倭人」とは違っているが、なおかつての「倭」「倭人」の名残が残っているはずだと、と考えている。「倭寇」のにころには国家の枠組が相当できあがっていたが、海上・海域の「領域」「国境」という考え方はほとんど手付かずにいた。海民は古代から「海の遊牧民」として移動する民だった。一方水稲耕作に従事する民は土地に定住し土地に縛られていた。その後の政治の枠組はすべて定住民を対象につくられていく。東シナ海の海域に住む海民が、政治制度の枠組から外れた存在になるのは必然の流れである。このことを村井氏は「周辺人」として語っているが、まことに当を得ている。対馬人が朝鮮半島人でもあり日本人でもあったということはストンと腑に落ちる。ここまでは普通の海民のことである。実は倭寇いぜんから、密貿易などを行う普通でない海民もいた。このoutlawの世界をもっと教えてもらいたかった。
2007年6月18日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
この本で中心となる視点はマージナル・マン(境界人)である。
現代では中国・北朝鮮・韓国・日本とはっきりと国家によって仕切られた地域。
国家の境界は海の上にも引かれている。しかし、この書の舞台となる中世はそもそも国家という輪郭自体がはっきりしなかった時代。陸地ですら境界がはっきりしない当時、国家権力に服属しない海の民達が国家を意識して行動したか・・・もちろん、意識したわけがない。
朝鮮南部を中心とした地域で活躍したマージナル・マンは倭と総称された。
今では高等学校世界史の教科書でも後期和冦は王直を初めとする中国人が中心であったと記述している。ちょっと歴史をかじった人ならば和=日本人という考え方はしないであろう。
倭とは朝鮮・日本という中世国家の端境に生きる人々の総称であり、国家に属さない自由な海洋人達である。時には漁師、時には農民、時には貿易商、またある時は海賊とその場その場に応じた姿を見せる。
彼らは国家との対応に置いても臨機応変。そのような国家と倭との接点の一つが三浦である。そこでは統制に置こうとする朝鮮王朝、倭の背後にあって影響力の拡大を図る対馬といった政治権力の角逐の場であると同時に倭の自由な海洋活動の一拠点でもあった。三浦の盛衰は倭の興亡とも軌を一にしている感がある。
倭が三浦を失った頃、南方海上ではポルトガルが勢力を拡大しつつあった。日本では戦国時代もいよいよ終わろうとし、大陸では清が着々と勢力を伸ばしていた。
倭とは中世の申し子であった。中世から近世へと歴史が動く中、倭の活動は少しずつ衰退していくことになる。
尚、江戸時代の日本と朝鮮王朝との関係では『倭館―鎖国時代の日本人町』(田代和生著)が参考になる。倭館は三浦の後継者と言えなくもない存在であるが、両者を比較すると中世と近世との違いがよくわかる。
現代では中国・北朝鮮・韓国・日本とはっきりと国家によって仕切られた地域。
国家の境界は海の上にも引かれている。しかし、この書の舞台となる中世はそもそも国家という輪郭自体がはっきりしなかった時代。陸地ですら境界がはっきりしない当時、国家権力に服属しない海の民達が国家を意識して行動したか・・・もちろん、意識したわけがない。
朝鮮南部を中心とした地域で活躍したマージナル・マンは倭と総称された。
今では高等学校世界史の教科書でも後期和冦は王直を初めとする中国人が中心であったと記述している。ちょっと歴史をかじった人ならば和=日本人という考え方はしないであろう。
倭とは朝鮮・日本という中世国家の端境に生きる人々の総称であり、国家に属さない自由な海洋人達である。時には漁師、時には農民、時には貿易商、またある時は海賊とその場その場に応じた姿を見せる。
彼らは国家との対応に置いても臨機応変。そのような国家と倭との接点の一つが三浦である。そこでは統制に置こうとする朝鮮王朝、倭の背後にあって影響力の拡大を図る対馬といった政治権力の角逐の場であると同時に倭の自由な海洋活動の一拠点でもあった。三浦の盛衰は倭の興亡とも軌を一にしている感がある。
倭が三浦を失った頃、南方海上ではポルトガルが勢力を拡大しつつあった。日本では戦国時代もいよいよ終わろうとし、大陸では清が着々と勢力を伸ばしていた。
倭とは中世の申し子であった。中世から近世へと歴史が動く中、倭の活動は少しずつ衰退していくことになる。
尚、江戸時代の日本と朝鮮王朝との関係では『倭館―鎖国時代の日本人町』(田代和生著)が参考になる。倭館は三浦の後継者と言えなくもない存在であるが、両者を比較すると中世と近世との違いがよくわかる。
2006年12月28日に日本でレビュー済み
日本人は常識的に、倭人伝や倭寇という言葉の「倭」が「日本」を意味すると思っている。しかし著者によれば、けっして「倭=日本」ではない。倭人とは人類学の用語でいう「境界人(マージナル・マン)」であり、日本・朝鮮・中国の国境をまたぐ東シナ海域で暮らす、いずれの王朝にも帰属しない人間集団である。民族的には、当時もっとも分権的状態下にあった(東シナ海沿海部の)日本人が多いにせよ、多数の朝鮮人・中国人も「倭服」を着て「倭賊」を称していたという。そして実際、16世紀の後期倭寇の頃には中国人が主体になっていた。
著者は『朝鮮王朝実録』を丹念に読み、時には倭寇として強盗・人身売買を行い、その対策として朝鮮側が認めた三浦の交易場では、相手の都合を顧みず少しでも多くの貿易利潤を追求する倭人という存在について、いわば元祖エコノミック・アニマルだったと述べる。中央政府の統制力が極端に弱く、自力救済が社会慣行になっていた中世日本社会ではぐくまれた、利にさとく機敏に行動する倭人の姿は、朝鮮側にはエネルギッシュで自由奔放な存在に見えたらしい。そして、三浦という猫の額ほどしかない倭人の居留地が、朝鮮社会に巨大な経済的影響を与え、ソウルの政財界を巻き込むスキャンダルさえ引き起こしたのは、それが朝鮮社会とはまったく違った、ガン細胞にも比すべき異分子だったからだと倭人と朝鮮人の違いを強調する。
明治以降の近代日本は東アジアの冊封体制の破壊者としてふるまったのだが、本書によれば早くも中世において倭人(日本人の一部?)は東アジアの伝統的社会を壊しかねない危険な存在として捉えられていたことになる。今後はこの違いがいったい何に起因しているかについて考えていきたい。
著者は『朝鮮王朝実録』を丹念に読み、時には倭寇として強盗・人身売買を行い、その対策として朝鮮側が認めた三浦の交易場では、相手の都合を顧みず少しでも多くの貿易利潤を追求する倭人という存在について、いわば元祖エコノミック・アニマルだったと述べる。中央政府の統制力が極端に弱く、自力救済が社会慣行になっていた中世日本社会ではぐくまれた、利にさとく機敏に行動する倭人の姿は、朝鮮側にはエネルギッシュで自由奔放な存在に見えたらしい。そして、三浦という猫の額ほどしかない倭人の居留地が、朝鮮社会に巨大な経済的影響を与え、ソウルの政財界を巻き込むスキャンダルさえ引き起こしたのは、それが朝鮮社会とはまったく違った、ガン細胞にも比すべき異分子だったからだと倭人と朝鮮人の違いを強調する。
明治以降の近代日本は東アジアの冊封体制の破壊者としてふるまったのだが、本書によれば早くも中世において倭人(日本人の一部?)は東アジアの伝統的社会を壊しかねない危険な存在として捉えられていたことになる。今後はこの違いがいったい何に起因しているかについて考えていきたい。
2013年6月16日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
子供の授業につかいましたほんやさんになかったかので本当に良かったです
2017年12月21日に日本でレビュー済み
室町から戦国にかけての朝鮮半島から中国沿岸にかけての日本人の活動実態が、朝鮮や日本の当時の文書をもとに書かれている。鎖国以前には、日本人がかなり活発に朝鮮半島南部などに行ったり移住していたり、一方で、倭寇と呼ばれるものが、必ずしも日本人によるものではないことなどがわかった。おもしろかった。
2010年3月22日に日本でレビュー済み
本書で、オホーツク文化と、環シナ海文化の違いを見つけようとしました。
2つの文化は、日本が面している2つの文化のはずなのですが、あまりにも違うような気がします。
中世の倭人に関する記述から、環シナ海文化を捉えるときに、日本側からの視点をまず確立したい。
次に、朝鮮半島の文化における位置付け。
さらに、台湾、沖縄における位置付け。
最後に、中国における位置付けを捕らえられればと思います。
本文から、すべてはわからなかったが、勉強を始めるきっかけになりました。
2つの文化は、日本が面している2つの文化のはずなのですが、あまりにも違うような気がします。
中世の倭人に関する記述から、環シナ海文化を捉えるときに、日本側からの視点をまず確立したい。
次に、朝鮮半島の文化における位置付け。
さらに、台湾、沖縄における位置付け。
最後に、中国における位置付けを捕らえられればと思います。
本文から、すべてはわからなかったが、勉強を始めるきっかけになりました。
2012年5月11日に日本でレビュー済み
村井氏の倭人についての考え方は、倭寇が時代とともに担い手や活動範囲を変えていったにもかかわらず、同じ倭寇という語で表現されたことを、合理的に説明できる解釈だ。
「楽浪海中に倭人あり」の時代から歴史上に見え隠れしている、東シナ海〜日本海(?)のマージナルマンの一端を、史書の中から掬い上げた労作だと私は思う。
「楽浪海中に倭人あり」の時代から歴史上に見え隠れしている、東シナ海〜日本海(?)のマージナルマンの一端を、史書の中から掬い上げた労作だと私は思う。